我孫子市 白山 2丁目13-4 月極駐車場 月額4,500円 |
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撮影:2022.8.1 |
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●地図の青丸で囲んだ中の、赤色部分が駐車場です。 | |||||||||
出典:MapFan | |||||||||
●駐車配置図 …7番〜13番は2021年10月をもって貸し出しを終了させていただき、1番〜6番のみのご利用となります。 | |||||||||
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●問合せ先・管理者:■有限会社武蔵野不動産(我孫子駅南口駅前通り) | |||||||||
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白山には嘉納治五郎の農園があった (出典/我孫子市教育委員会が白山地域へ設置の解説看板) ●嘉納治五郎は万延元(1860)年、兵庫県に生まれました。柔道の創始者(講道館初代館長)であり、東京高等師範学校の校長を勤めるなど、教育者としても知られています。 ●嘉納は明治44(1911)年に我孫子市白山1丁目付近に土地を取得します。嘉納はここに理想の学園を作る構想をもっていたといわれ、結果的に学園の設置はできませんでしたが、ここに嘉納後楽農園と呼ばれる農園を作りました。農園の運営には植物栽培に長けた松本久三郎を呼び寄せ、かぼちゃ、桃などを栽培して出荷しました。 ●嘉納は白山に土地を取得した頃、我孫子市緑(現在のアビスタを見下ろす丘の上)に別荘を設け、甥で民藝運動提唱者・宗教哲学者の柳 宗悦を隣家の(三樹荘)に呼び、教え子の東京帝大教授村川堅固に別荘建設(寿二丁目、旧村川別荘)をすすめるなど、別荘地としての我孫子を推し進めた原点ともいえます。 ●柳 宗悦の妻、兼子は嘉納後楽農園で採れた「グスベリー」でジャムを作ったといいます。嘉納は昭和15(1940)年開催される東京オリンピック(戦争のため中止となった)の誘致に成功した後、昭和13(1938)年カイロで聞かれた国際オリンピック委員会の帰途、残念ながら氷川丸の船上にて逝去しました。没後に農園は売却されましたが、この地が我孫子では最も早い時期に分譲され、「東京のベッドタウン」さきがけの地になりました。 ●また、戦後には水道が未整備だった分譲地に住民が自主的に白山専用水道組合を作り、水道管理を行うなど、現代の我孫子を考える上でも重要な場所となっています。 |
我孫子の歴史景観/文化と歴史の白山・根戸の散策 ●我孫子駅南口を直進し、十字路交差点横断後、八坂神社 から"水戸街道"(356号線)沿いに右折。170m歩いて、コンビニを左折すると"白山通り"に入ります。 ●この白山丘一帯の景勝の地には白山古墳群があり、路の右側から"白山通り"にかけた一帯は、嘉納治五郎ユートピア学園、嘉納治五郎農場跡です。 ●突き当たりの家は、嘉納治五郎の農園で農業経営を行った松本久三郎氏 松本家 の一画です。 そこを左,左へと歩きます。 → 白山2丁目西端の緩やかな階段坂に来ます。ここは冬の晴れた日などに富士山が良く見えます。 ■白山・根戸地域の散策マップへ (出典/我孫子の景観を育てる会) |
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